'17新潟大学法学部後期日程小論文模範解答例

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ごきげんよう。お湯です。今回は新潟大学法学部からの出題です。

「大人」と「こども」の間の境界線の引き方は様々です。例えば、成人年齢など、一定の年齢を基準をとする考え方もあれば、経済的自立など、一

定のことが自分でできるようになることを基準とする考え方もあります。
 あなたは「大人」と「こども」の間の境界線を、どのような基準によって引くのが望ましいと考えますか。1000字以内で述べなさい
【'17新潟大学法学部後期日程】

 

法学部からの出題なので、社会科学的な観点から書いてみました。高校で履修する政治・経済の範囲で書いたつもりです。

 

それでは、どうぞ。

 

 「大人」と「子ども」の間の境界線は、ある一定の年齢という基準で引くのが望ましい。すなわち、一定の年齢に達したら一律に「大人」とみなすということだ。そして、この年齢は、自身の権利の行使について理解できるかという観点で定めるべきだ。この基準により、社会の安定性が保たれると考える。そもそも「大人」と「子ども」を分ける意義は、精神的かつ肉体的に未成熟な存在を「子ども」として、その者たちを保護するところにある。また、「大人」とは、ある一定の責任を社会において負える存在だとみなされた存在だ。人間は一般的に年齢を重ねるにつれて精神的、肉体的に成長する。それを待たずに十分な能力が備わっていない段階で何らかの責任を負わされることは、その者の不利益になる。確かに、社会生活を送る上で、何らかの権利をもつことは、義務を負うことの裏返しである。しかし、義務を果たすという責任を、社会的に未成熟な者たちに負わせることは、十分な思慮をもって自身の権利を行使することのできない者に、権利を行使する能力をもつ者と同等の負荷をかけることだ。これは責任を負わせるという観点からすれば平等であるが、そもそも自身の権利について十分に理解できないのだから、総体的に考えると逆に不公平だ。したがって、基本的には、自身の権利を理解し行使できるかという基準で「大人」と「子ども」の境界線を引くのが妥当だ。しかし、自身の権利を理解し行使できるかという基準のみでは、社会における安定性を損なう恐れがある。権利の行使や義務の履行において、本人がそれを理解できるかどうかというのは他者には容易にはわからないし、わかるにしてもその基準が人によって分かれてしまうからだ。これでは安心して他者と契約や取引をすることができない。そのため、権利を理解し行使できると思われる年齢を一律に定めて、それを国民に適用するのが、「子ども」の保護と社会の安定性の確保を両立させる方策だと考える。もちろん、年齢のみで権利を行使する能力があるとみなすと、たとえばなんらかの障害を抱えていた場合にその者に対する不合理な不利益になる。そのため、個々の事情を勘案して保護することも必要だが、これは個別具体的に社会福祉の観点からなされるものだ。基本的には、自身の権利行使の意味を理解できると社会一般にみなされる年齢を確定し、それを基準として「大人」と「子ども」を分けることが必要だ。

(1000字)