大学入試小論文の添削指導(指導者向け)

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ごきげんよう。お湯です。

 

今回は「指導者向け」の「大学入試小論文の添削指導」のやり方について、私自身の考えを書いてみます。

 

 

今回想定するのは、次のような生徒です。

  • 地方都市に位置する、偏差値で切ると2番手くらいに位置する公立高校の三年生
  • 河合塾での偏差値55の文系私立大学の指定校推薦合格を目指している
  • 素行は悪くないが、特段意識が高いわけでもなく、3か月程度で小論文の対策をしたと考えている
  • これまで文章を書いた経験は中学校までの「読書感想文」程度で、小論文の指導を継続的に受けたことはない。

 

では参りましょう。

添削をしてほしいと生徒がやってきます。早い生徒で夏休みより前くらいでしょう。

 

今回想定する生徒に対しては、初っ端にこれくらいの問題を出してみます。

 

経済格差、地域格差、男女格差など、日本だけでなく世界各地で格差社会が社会問題となっています。格差社会の具体的な事例を1つ挙げつつ、格差社会の解決策についてのあなたの考えを800字以内で述べなさい。

昭和女子大学人間社会学部現代教養学科)

 文章を書いたことのない生徒にはかなりしんどい問題ですよね。それでも「最初に」この程度の問題は出します。この問題を選んだ理由は次の通りです。

  1. 実際の入試問題を見てもらって、小論文は甘くないことを知ってもらう
  2. 1.と同時に、小論文の入試問題のイメージをもってもらう
  3. 生徒が現状でどの程度まで設問を読解し、文章を書けるかがわかるようにする

もちろん、「あなたが大学でがんばりたいこと」のような簡単な問題から始めることもできます。しかし、小論文指導は得てして「短期決戦」になるものです。そのため、到達点を示し、このままではマズい、と生徒に気付いてもらうことがファーストステップだと考えています。

 

また、設問がざっくりとしたテーマ型でないのもポイントです。「Aについて述べよ」のような設問は、一見考えやすそうですが、何を書けばいいのかわからないことが多いです。今回の昭和女子大の問題のように、「Aという現状を踏まえ、Bという具体例を1つ挙げつつ、Cについての考えを述べなさい」といった、ある程度レールが引かれた問題を出すことにより、生徒がどの程度設問を理解できるか、そして文章を書けるかを知ることができます

 

さて、上記の昭和女子大の問題を書いてもらうと、概ね次のような答案がかえってきます。

 私は、経済格差、地域格差、男女格差など、日本だけでなく世界各地で格差社会が社会問題となっています。日本では貧富の格差が広がりすぎていると思います。

 私は××県で生まれ育ちましたが、アメリカでは大富豪の人がたくさんいて、お金をいっぱいもっているとニュースで聞きました。アメリカではお金持ちが国の中のお金のほとんどをもっていると聞きました。アメリカはお金をもっている人ともっていない人との差が大きすぎるから、もしもアメリカが不況になれば、貧しい人が困ることが考えられるので、それでは大変なことになってしまい、世界中が格差社会だから、日本も大変なことになってしまう。

 これは大変なことなので、なんとかしなければならない。しかし、この格差は仕方のないことだ。だって、能力のない人が仕事を得られないのは当たり前だし、能力のある人がたくさん仕事をして稼ぐのが世の中では当たり前だからです。

 この格差を解決しようとしたら、私たちはいっぱい努力をする。それはとても大変だから、人それぞれががんばらないといけないし、政府がなんとかしないといけないと思います。ではどのようにがんばるのかというと、みんなが自分のもっているものを周りの人に分け与えて、シェアする。それに、政府がお金を何枚も印刷して、貧しい人たちにどんどん配ればいいと思います。そうすることによって、世の中がよくなると思います。

 私は、××大学で勉強をする上で、いろんなことを学んでいきたいと思います。そのためには、図書館でいっぱい勉強して、知識を蓄えることが必要です。そうすれば、格差問題のための解決策だ。かの有名な明治の人物である福沢諭吉はこういった。「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。」私も、福沢諭吉のような人物になりたいと思います。

 格差社会は社会全体の問題なので、社会が一丸となって取り組む必要があると思います。(794字)

みなさんは、この答案が提出されたら、どのような対応をとりますか。

たとえば、次のように添削をして返すことも可能です。

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 はい、真っ赤ですね。もちろん、ツッコミどころはたくさんあるので、このくらいの朱を入れることは可能です。しかし、この添削を受けた生徒は、最悪の場合、二度と答案を持ってくることはないかもしれません。心が折れてしまうからです。指導者としてこの答案をもってきてもらったときにかけたいのは、「よく書いてきてくれたね、がんばった!」というねぎらいの言葉だと思います。そもそも生徒はこれまでにまとまった量の文章を書いたことがあまりないので、できなくて当然なのです。答案をなんとか書き上げたことに敬意を示した方がいいのではないでしょうか。

 ただ、これでは合格点には遠いので、ねぎらうだけでは指導になりません。私だったら、発問をしてみます。

「どういう風に考えて、結局、何が言いたかったの?」

 これへの答えに応じて、対応が変わってきます。

「何を書いたらいいのかわからなかった」

 この場合は、次のような発問を飛ばしてみます。

「知識がなかったの?それとも書き方がわからなかったの?」

 これに対して、「知識がなかった/格差問題のことは考えたことがなかった」という答えであれば、まずは知識の仕込みです。基本的には、高校の公民の教科書レベルのことを簡単にまとめた参考書をおススメしていきます。今回は、知識の仕込みが終わったことを前提にします。

「これこれこういうことが言いたかったが、どう書いたらいいのかわからなかった」

知識が頭の中に入っていれば、このような答えになるはずです。とすると、次の発問に移ります。

「問題文が何を聞きたかったのかはわかってた?」

本問が聞きたかったのは、次の3点です。

  1. 格差社会」の現状についての認識
  2. 具体的な事例を1つ
  3. 格差社会の解決策

 これらがわからなければ、合格答案にはたどり着けないでしょう。ですから、これら3つの点を認識していたかを聞いてみます。

 そして、問題文が誘導していたことに気付いていなければ、上記の3点を伝えます。今回の答案ですと、これらを認識してなかったのは明らかです。したがって、ここまで伝えてから、書き直しをしてもらいます。

 このとき、具体的な添削(朱を入れること)は「ゼロ」にします。先に述べた通り、すべてに朱を入れると生徒がくじけてしまいます。また、文法上のミスや論理構成上のミス、アイデアの欠落など、答案における問題点が分散してしまい、結局何をどう直せばいいのかわからなくなってしまうからです。

 ですから、問題文の誘導だけを伝えて、朱を入れずに書き直しをしてもらいます。2回目の答案は、概ね次のようになるでしょう。

 世界各地で格差社会が社会問題となっています。

 私は××県で生まれ育ちましたが、アメリカでは大富豪の人がたくさんいて、お金をいっぱいもっているとニュースで聞きました。アメリカではお金持ちが国の中のお金のほとんどをもっていると聞きました。アメリカはお金をもっている人ともっていない人との差が大きすぎるから、もしもアメリカが不況になれば、貧しい人が困ることが考えられるので、それでは大変なことになってしまい、世界中が格差社会だから、日本も大変なことになってしまう。

 具体例として、先進国と発展途上国との間の経済格差だ。アフリカやアジアでは貧しい生活に苦しむ人々が数多くいる。その一方で、アメリカなどの欧米諸国は富裕層が多くいます。この格差が大きくなっていくと、生活が苦しくなる人々が多くなり、社会に対する不満がたまってしまう。これは大変なことなので、なんとかしなければならない。

 この格差を解決しようとしたら、私たちはいっぱい努力をする。それはとても大変だから、人それぞれががんばらないといけないし、政府がなんとかしないといけないと思います。ではどのようにがんばるのかというと、みんなが自分のもっているものを周りの人に分け与えて、シェアする。それに、政府がお金を何枚も印刷して、貧しい人たちにどんどん配ればいいと思います。そうすることによって、世の中がよくなると思います。

 私は、××大学で勉強をする上で、いろんなことを学んでいきたいと思います。そのためには、図書館でいっぱい勉強して、知識を蓄えることが必要です。そうすれば、格差問題のための解決策だ。かの有名な明治の人物である福沢諭吉はこういった。「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。」私も、福沢諭吉のような人物になりたいと思います。

 格差社会は社会全体の問題なので、社会が一丸となって取り組む必要があると思います。(781字)

少しだけ形が整ってきました。ただ、それでも不十分な点は数多くありますね。このときには2つのアプローチがあると思います。1つは、「削るアプローチ」です。具体的には次のような添削をします。

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つまり、「~は書かない」、「~は不要」などといった、「いらないものを削っていく」アプローチです。これも有効な場面がありますが、まだ早いでしょう。そもそもこの生徒は知識をアウトプットする段階で躓いているからです。「削る」アプローチが有効なのは、書きたいことが多すぎて困るときだけです。ですから、もう一つの「加える」アプローチをしていきます。具体的には次のように行います。

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このように、答案上の「曖昧な部分」に適宜質問を入れていくアプローチです。次のような質問を入れてみます。

  • 具体的にはどうするのか?
  • 実際は誰が実行するのか?
  • 何か具体例はないか?
  • その問題がおこると結果としてどうなるか?
  • その問題の背景にはどのようなものがあるか?
  • その問題が「問題」なのはなぜか?

このように、生徒の中ではっきりしていないことに質問を入れて、イメージを膨らませてもらいます。そうすることにより、「何を」「どのように」書けば答案用紙が埋まっていくかがわかってきます。また、この段階でもまだ論理性や「てにをは」、「文末の統一」には触れません。答案を書く際のイメージをもってもらうことが先決です。同時に、添削だけでなく、生徒と個別に話す中で、「こういうことも考えられるのではないか?」とヒントを指し示すことや、「課題を解決するためにはどうしようか?」といったディスカッションをすることも重要だと考えます。ここが指導する側の腕の見せ所です。なお、「ここはいい!」というようにほめていくことも大事です

この段階を経ると、次のような答案になると思います。

 世界各地で格差社会が社会問題となっています。世界規模では南北問題と呼ばれる先進国と発展途上国との経済格差、また南南問題と呼ばれる発展途上国間での経済格差もあります。

 日本のような先進国の中でも、貧富の差は増大しています。アメリカではお金持ちが国の中のお金のほとんどをもっていると聞きました。アメリカはお金をもっている人ともっていない人との差が大きすぎるから、もしもアメリカが不況になれば、貧しい人が困ることが考えられるので、それでは大変なことになってしまい、世界中が格差社会だから、日本も大変なことになってしまう。

 具体例として、先進国と発展途上国との間の経済格差だ。アフリカやアジアでは貧しい生活に苦しむ人々が数多くいる。その一方で、アメリカなどの欧米諸国は富裕層が多くいます。この格差が大きくなっていくと、生活が苦しくなる人々が多くなり、社会に対する不満がたまってしまう。社会に対する不満が高まると、政府を転覆するような反社会的な動きにつながったり、他の国との対立が戦争を起こしたりする。これは大変なことなので、なんとかしなければならない。

 この格差を解決しようとしたら、国家と国家の間での協調や支援が必要だ。それはとても大変だから、人それぞれががんばらないといけないし、政府がなんとかしないといけないと思います。ではどのようにがんばるのかというと、みんなが自分のもっているものを周りの人に分け与えて、シェアする。それに、政府がお金を何枚も印刷して、貧しい国にどんどん配ればいいと思います。

 具体的には、社会インフラの整備を支援したり、貿易上の関税障壁をなくしていくことが必要です。そうすることによって、世界の格差が小さくなり、それぞれの国家が安定するようになると思います。そうすれば、世界の格差問題が解決されるのではないだろうか。(764字)

ようやく3回目でかなり整ってきました。この答案では、「私が××大学でがんばりたいこと」や「福沢諭吉の名言」が消えていますね。「加える」アプローチをすることにより、必要な部分に字数を割くことになり、結果的に余分な事柄が抜けていきます。その感覚を自然と覚えていくことが大切です。次に行うアプローチは、「論理性」の観点から行います。具体的には、次のように添削します。

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 このように、論理的に考えて不自然と思われることを指摘していきます。本答案では、先進国の話をしているのにアメリカだけを出すのは視野が狭すぎるということや、国家間協調の話をしているのに「個人が頑張る」というのは話がずれるということをコメントします。要するに、読み手にとって疑問に思われるようなことをつぶしていく段階です。これを経ると、次のような答案ができあがります。

 世界各地で格差社会が社会問題となっています。世界規模では南北問題と呼ばれる先進国と発展途上国との経済格差、また南南問題と呼ばれる発展途上国間での経済格差もあります。日本のような先進国の中でも、貧富の差は増大しています。

 アメリカやヨーロッパ諸国などの欧米ではお金持ちが国の中のお金のほとんどをもっていると聞きました。このような国々ではお金をもっている人ともっていない人との差が大きすぎるから、もしも先進国が不況になれば、貧しい人が困ることが考えられるので、それでは大変なことになってしまう。世界が密接につながっているのが現代社会なので、日本を含めた世界各国も大変なことになってしまう。

 格差の具体例として、先進国と発展途上国との間の経済格差だ。アフリカやアジアでは貧しい生活に苦しむ人々が数多くいる。その一方で、アメリカなどの欧米諸国は富裕層が多くいます。この格差が大きくなっていくと、生活が苦しくなる人々が多くなり、社会に対する不満がたまってしまう。社会に対する不満が高まると、政府を転覆するような反社会的な動きにつながったり、他の国との対立が戦争を起こしたりする。これは大変なことなので、なんとかしなければならない。

 この格差を解決しようとしたら、国家と国家の間での協調や支援が必要だ。それはとても大変だから、それぞれの国の政府がリーダーシップをとっていくことが必要だと思います。ではどのようにがんばるのかというと、先進国の政府が、貧しい国にどんどん支援をすればいいと思います。具体的には、社会インフラの整備を支援したり、貿易上の関税障壁をなくしていくことが必要です。そうすることによって、世界の格差が小さくなり、それぞれの国家が安定するようになると思います。

 これにより、世界経済が安定するので、先進国も恩恵を受けることになる。そうすれば、世界の格差問題が解決されるのではないだろうか。(792字)

ここまでくれば、合格答案に近くなってきますよね。あとは、主述のねじれや語尾の調整、「てにをは」の指導をすればいいだけです。このプロセスを経ることで、生徒は実際の問題のイメージがわき、問題文の整備した誘導に乗り、曖昧な部分を具体化することによる文字数の膨らませ方が身をもってわかってきます

もちろん、生徒によって語彙や知識は千差万別なので、この通りにすれば絶対にうまくいくわけではありません。ひとつの指導方法として、何かのご参考になればと思います。

それでは♨

 

'17新潟大学法学部後期日程小論文模範解答例

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ごきげんよう。お湯です。今回は新潟大学法学部からの出題です。

「大人」と「こども」の間の境界線の引き方は様々です。例えば、成人年齢など、一定の年齢を基準をとする考え方もあれば、経済的自立など、一

定のことが自分でできるようになることを基準とする考え方もあります。
 あなたは「大人」と「こども」の間の境界線を、どのような基準によって引くのが望ましいと考えますか。1000字以内で述べなさい
【'17新潟大学法学部後期日程】

 

法学部からの出題なので、社会科学的な観点から書いてみました。高校で履修する政治・経済の範囲で書いたつもりです。

 

それでは、どうぞ。

 

 「大人」と「子ども」の間の境界線は、ある一定の年齢という基準で引くのが望ましい。すなわち、一定の年齢に達したら一律に「大人」とみなすということだ。そして、この年齢は、自身の権利の行使について理解できるかという観点で定めるべきだ。この基準により、社会の安定性が保たれると考える。そもそも「大人」と「子ども」を分ける意義は、精神的かつ肉体的に未成熟な存在を「子ども」として、その者たちを保護するところにある。また、「大人」とは、ある一定の責任を社会において負える存在だとみなされた存在だ。人間は一般的に年齢を重ねるにつれて精神的、肉体的に成長する。それを待たずに十分な能力が備わっていない段階で何らかの責任を負わされることは、その者の不利益になる。確かに、社会生活を送る上で、何らかの権利をもつことは、義務を負うことの裏返しである。しかし、義務を果たすという責任を、社会的に未成熟な者たちに負わせることは、十分な思慮をもって自身の権利を行使することのできない者に、権利を行使する能力をもつ者と同等の負荷をかけることだ。これは責任を負わせるという観点からすれば平等であるが、そもそも自身の権利について十分に理解できないのだから、総体的に考えると逆に不公平だ。したがって、基本的には、自身の権利を理解し行使できるかという基準で「大人」と「子ども」の境界線を引くのが妥当だ。しかし、自身の権利を理解し行使できるかという基準のみでは、社会における安定性を損なう恐れがある。権利の行使や義務の履行において、本人がそれを理解できるかどうかというのは他者には容易にはわからないし、わかるにしてもその基準が人によって分かれてしまうからだ。これでは安心して他者と契約や取引をすることができない。そのため、権利を理解し行使できると思われる年齢を一律に定めて、それを国民に適用するのが、「子ども」の保護と社会の安定性の確保を両立させる方策だと考える。もちろん、年齢のみで権利を行使する能力があるとみなすと、たとえばなんらかの障害を抱えていた場合にその者に対する不合理な不利益になる。そのため、個々の事情を勘案して保護することも必要だが、これは個別具体的に社会福祉の観点からなされるものだ。基本的には、自身の権利行使の意味を理解できると社会一般にみなされる年齢を確定し、それを基準として「大人」と「子ども」を分けることが必要だ。

(1000字)

’17愛知医科大学2月2日実施分小論文模範解答例と解説

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ごきげんよう。kikuchiです。今回は愛知医科大学からの出題です。

あなたが、インターネット上のサイトで次のような相談を見つけ、これに答えようと考えているとする。あなたならどのように答えるか、600字以内で述べよ。

 

「医学部を目指して浪人生活を送っています。医者になりたいと思ったきっかけは自分自身が心の病気をしたことです。将来は精神科医になりたいと思っています。ただ、心配なことがあるのです。私は小さい頃から死に対して恐怖心をもっていました。会ったことのない人でも訃報を聞くと怖くて夜も眠れなくなってしまうのです。こんなことでは医学部に進んでも、遺体を解剖できるのか、医師になっても患者さんにしっかりかかわれるのか、不安で仕方がありません。どうすれば恐怖心を軽減できるのでしょうか?」

 

[’17愛知医科大学2月2日実施分]

 

《解説》

①リード文に注目する

リード文に、「インターネット上のサイトで」とあります。みなさんも一度は見たことがある、投稿された質問に誰かが答えるサイトだと思われます。たとえば、これが「唯一無二の親友からの相談」だった場合と、この問題の場合は異なります。すなわち、匿名だという点です。匿名であるということを意識した答案をするべきでしょう。

 

②問題の背景にある出題者の意図を考える

①にも書きましたが、インターネット上のサイトに投稿された相談に回答する行為自体について考えてみます。この行為において、相手も自分もお互いのことを知り得ません。その状況で、安易に質問者の人生相談に回答することが果たして適切なのでしょうか。出題者の問題意識はそこにあるのではないでしょうか。つまり、インターネットが発達した現代社会において、「匿名」がもたらす悪影響を案じているのではないかと推察できます。このことを認識した上で解答します。

 

③医学部受験者としてふさわしい「想像力」を意識する

あくまでもこの小論文は医学部からの出題です。したがって、医師になる者として、患者やその家族に配慮できることを示す必要があります。この答案においても、「質問者」に頭ごなしに説教をすることや、自分の考えを押し付けるようなことは避けるべきでしょう。相手、つまり質問者のおかれた立場を踏まえた解答をすべきだと考えます。

 

それでは、どうぞ。

 

《解答例》

 質問者の方へ。

 インターネットという匿名の場で質問することについて、考えてみてください。私はあなたについて、質問文からしか知ることはできません。あなたも、回答をする人がどのような人間なのかはわかりません。

 仮に、回答を得て自分が納得して、それに従ったとします。もしその結果が悪いものであった場合に、あなたはその回答をした匿名の誰かに責任転嫁をしてしまうのではないでしょうか。

 また、よい結果だったとしても、それはあなた自身から生み出された結果ではありません。匿名の誰かに救われたということに、未来のあなたは納得できるでしょうか。

 逆に、納得できなかったとすると、あなたは同じようにインターネット上の他のサイトで答を見つけようとするのではないでしょうか。そしてそれを繰り返すことになるでしょう。

 そもそも、あなたがもっている「死」に対する恐怖心も、同じようなものだと思います。「死」は誰もが怖れ、悩んでしまうものです。それは「死」が何なのか、答えが究極的に出るものではないからです。つまり、あなたが追い求めている「答え」はいずれにしてもある意味で「匿名」であり、「誰にもわからない」ものなのです。

 もちろん、この場でご質問されているということは、自分では答えが見つからなくて弱り果てていることは想像できます。ただ、根本的に答えが見つからない、ご自身の人生の答えを、匿名の誰かに託すことを考え直してほしいと願います。

(600字)

何かのお役に立てれば幸いです。では♨

石巻専修大学人間学部人間文化学科人間教育学科(AO入試A日程)小論文模範解答例と解説

f:id:kikuchishusaku:20200304142117p:plainごきげんよう。kikuchiです。今回は石巻専修大学の小論文の解答解説を書いてみました。論題はこちらです。

レヴィナスという思想家は、人間の「かけがえのなさ」というのは「比較を許さないということ」である、と言っています。あなたは、「比較を許さない」人間の「かけがえのなさ」についてどのように考えますか?600字以内で、あなたの考えを書いてください。

['17石巻専修大学人間学部人間文化学科人間教育学科(AO入試A日程)]

 

《着眼点》 

①「かけがえのなさ」についての定義を考える
②「比較」とはどういうことか考える
③論点を明確にする

①「かけがえのなさ」についての定義を考える

まずは、あいまいな言葉は定義づけをすることが必要です。「かけがえのなさ」つまり「かけがえがないこと」とはどういうことか、それを考えます。

②「比較」とはどういうことか考える

確かに、人間の価値はかけがえのないものだということは、容易に理解できますし、首肯できることでしょう。そうでなければ、価値のない人間、というものが存在することになり、それは私たち人間の尊厳を失うことにつながります。

③論点を明確にする

しかし、単純に人間は比較できず、かけがえのないものだ、といったところで、それはレヴィナスに同意したにすぎません。解答者が求められているのは、「自分がどのように考えるか」です。ここでは、レヴィナスに同意するにしても、「本当にその通りなのか」と疑いをもつことが必要です。答案はこの点を基に考えてみました。

それでは、どうぞ。

 

《解答例》

 「比較を許さない」人間の「かけがえのなさ」について、確かに、原則として人間はその存在自体に価値があることは間違いないが、人間は他者との比較をしなければ自身の価値を認識できないという自己矛盾を抱えていると考える。

 まず、かけがえがないというのは、人間自体が固有の価値を有しており、他の存在との交換ができないということだ。他の存在との比較をした途端に、何らかの価値尺度における比較が生まれ、優劣が定められる。それを許さないことで、人間はかけがえのないもの足り得る。人それぞれの尊厳を守るという意味で、この考えに異論をはさむ余地はない。

 しかしながら、私たちは自己の価値を、他との比較なしで認識し得るだろうか。他の存在との比較を通してしか、人間は自身の優劣を認識し得ず、したがって、人間は、個人としては比較によってのみ自身の価値を体感できると考える。なぜなら、人間は、何らかの社会の中でしか存在し得ない。それゆえに、他者より自分が優れているという感覚をもたない限り、自身の優れた点を発見できないからだ。

 このように、人間は、個人の尊厳を守るという観点からすれば、比較を許さないことでかけがえのなさを守ることができる。その一方で、個人としては、比較しなければ自身の価値を感じることはできない。したがって、人間とは、それ自身が比較を許さないと同時に比較しなければ価値を感じ得ない、本来的に矛盾した存在なのだと考える。

(600字)

何かの参考になれば幸いです。それでは♨

 

新潟大学法学部2012年度後期日程小論文模範解答例

〈課題文は著作権の関係上省略〉

 「自由であること」は、その人にとって選択肢が無限にあるように見えるため、「息苦しさ」を与えるものであると考える。そもそも「自由」とは、絶対君主制が布かれていた国々において、「財産権の自由」を求めたものであった。その自由は幾多の人々の苦難の末に勝ち取られた、人類にとって永久不変の真理であるように思われたのは想像に難くない。しかし、今や「自由」そのものの意味合いが増長し、逆に人々を苦しめているともいえるのではないだろうか。

 「自由」が追求された末に、その真逆に位置する全体主義に陥ってしまった例を私たちは歴史上の史実に見ることができる。それはナチスドイツにおける全体主義だ。第一次世界大戦後のドイツにおいては、当時最も民主的だとされたワイマール憲法が存在していた。ドイツの国民はその憲法下で自由を享受できるかに思われた。しかし、実際はその逆で、突然与えられた「自由」にドイツ国民は戸惑った。そして、当時台頭していた、ヒトラー率いるナチスドイツが政権を奪取するや、ドイツ全体が全体主義へと走ったのである。これは「自由からの逃走」と呼ばれる事態であった。このような状況がなぜ生まれたかというと、それは「自由」というものの強制が行われてしまったからだと考える。

 すなわち、「自分の意思に従いどのようなことでもしてよい」とされたとき、人は常に他者からの比較の目にさらされるのである。日々何を話し、どのような行動をとり、どのような服装をするかまでが自由であるとき、他者からの視線に耐えていくことを感じ取るのである。こういった状況下では、人は自分のあらゆる選択が他者の評価にさらされる。自分の一挙手一投足のすべてが誰かの目に留まり、評価され、それが自分自身の価値につながってしまうのである。自分の価値が他者に依存してしまう状況、それが「自由」自体が人を束縛してしまう逆説的な状況なのである。

 自由がその人自身を縛ってしまう事態においては、ある程度の「ルール」が必要とされる。「ルール」とは、その社会における規範や慣習を意味すると考える。こういったルールが有形無形に人々を緩やかに連帯させることにより、人々は何かに寄り添っているという安心感を得られるだろう。その安心感こそが、人々が極端な方向に走らせることを止める防波堤となるはずであるのだ。「自由」が叫ばれる今日、実はそれをまとめるルールが必要なのではないかと考える。

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反射神経で解く、ということ

受験に必要なのは、「反射神経」です。

いやいや、入試問題を解くには「思考力」とか「表現力」とかでしょ。それがこれからの入試で問われることじゃん。そんなツッコミが聞こえてきます。

もちろん、「思考力」や「表現力」は否定しません。確かに入試問題を解くにもそれらが必要です。ただ、こと「入試問題を解く」ということを考えると、反射神経は絶対的に必要です。ここでいう「反射神経」とは、「問題を見たら反射的に答えや解法が思い浮かぶ」くらいの意味だとご理解ください。

入試には、必ず制限時間があります。限られた時間内で与えられた問題を素早く正確に解くことが問われているわけです。論文を書くのに数か月与えられる大学とは全く違います。この制限時間の中で合格点をとるために絶対的に必要なのが、反射神経なのです。

たとえば、皆さん「九九」を小学生で習ったと思います。今でも「いちいちがいち、いんにがに…」と暗唱できることでしょう。もし、九九が言えなかったら、どうしますか?9×5があったとして、図を描きますか。それとも指で数えますか。それは不可能ではありませんが、途方もない時間がかかります。高校入試などの数学の試験において九九を言えないことは致命的でしょう。

この例でお分かりのように、数学にも、まずは基礎的な計算を反射的に行えることが必要です。英語でも、"for the first time"と"at first"の違いを瞬時に言えますか?前者は「初めて」で後者は「はじめは」と訳すことができます。これがわからなければ誤読につながります。英単語や熟語を見たら一瞬で意味を言えることが不可欠なのです。この場合の「一瞬」は「1秒以内」だと考えてください。

高校入試の実際の問題においても、過去問を反射的に解けるようになるまで習熟しなければなりません。このパターン・形式・問われ方がきたらこういう方針で解いていく、そういう思考を瞬時に行います。そんなの問題のパターン暗記で、本当の勉強ではない、と思う方もいらっしゃると思いますが、そうではありません。基礎・基本の知識、標準的な問題の解法を瞬時に再現できるようになってから、それらの組み合わせである応用問題・発展的な問題が解けるようになるのです。

問いに対する応答を1秒以内にできるか。それを受験勉強においては意識しないといけません。

早稲田大学社会科学部2018年度自己推薦入学試験小論文模範解答例

模範解答例作ってみました。これには課題文はありません。

(問題)
 日本には観光資源が豊富にあり、治安もよく、近年、海外からの旅行者が増加傾向にあります。海外からの旅行者のニーズを考えた場合、「観光立国」そして「観光大国」を目指すには、どのような改善が必要だと考えますか。あなたの意見を具体的に800字以内で述べてください。

(解答例)
 私は、「観光大国」とは、「世界的に見ても、観光において、他国と比べて傑出した立場にある国」のことだと考える。多くの観光立国がある中、観光大国となるには、まずは日本が観光先として選ばれることが必要だ。
 観光先として選ばれるには、旅行者のニーズを満たさなければならない。そのニーズには、ハード面とソフト面がある。ハード面は、宿泊場所が豊富にあることや、公共交通機関を円滑に使えることが挙げられる。ソフト面は、旅行者がそれぞれの目的を果たすにあたり、観光先まで問題なくたどり着き旅行を楽しむことが挙げられる。
 このニーズに対する日本の現状と改善策を述べる。ハード面については、都市によっては宿泊することができる場所が限られている。また、大都市に顕著だが、公共交通機関が混雑し、利用の仕方もわかりにくい。宿泊施設は、民間の宿泊場所に対する法規制を緩め、企業などが宿泊サービスを積極的に提供できるようにすべきだ。また公共交通機関に関しては、国の機関の地方への分散化を進め、企業が大都市以外にも展開することを促し、混雑を緩和することが必要だ。交通系ICカードの共通化及び簡便化を行い、各地を自由に移動できる仕組みも欠かせない。ソフト面については、言語及び食事の面が挙げられる。観光地に到着までに、道路標識や目的地表示が多言語に対応しておらず、困惑する旅行者が後を絶たない。また、宗教上の理由で特定の食材をとることができない旅行者は多数いるが、それに対応していない飲食施設は多い。言語面に関しては、行政主体で公共施設の多言語化を進めることが必要であるし、企業の翻訳ツールの普及も問題解決に資する。食事に関しては、ハラールなどの表示が飲食施設のメリットにつながることを官民主体で告知し、経済合理性に基づいて食事の提供のあり方の変更を促すことが重要だ。
 以上のように、日本が「経済大国」を目指すために改善すべきであると考える。(800字)